けにあもん vol.2
ボレ空港を出発した飛行機は、約2時間半、ナイロビを目指して南へと飛行を続ける。機内は、ビジネススーツに身を包んだ白人の男性2人を除けば、黒人しかいない。
座席は一番後ろ、左の窓側。天気が良く、眼下にはアフリカの大地が広がる。
なにもない、ただただ広い赤茶色の大地を眺め、自分が本当にアフリカに来たことを実感する。(写真撮っておけばよかった…)
一気に訪れる不安と興奮。これからの日々が楽しみな自分がいる一方で、今すぐにでも日本に帰りたいと思う自分もいる。こんなときにはコカ・コーラだ。世界中どこにでもある絶対的に変わらない味。慣れ親しんだ味に心を落ち着かせる。
そして18時15分。機体は無事に、ケニアの初代大統領の名前を冠したジョモ・ケニヤッタ国際空港へと着陸した。
まず入国審査。本来ボランティアは就業ビザでなくてはいけないのだが、色々手続きが面倒ということで、観光ビザで入国。2か月も滞在するのに観光ビザで大丈夫かと不安もあったが、そこはさすが日本のパスポート。すんなり通してくれた。
預けた荷物を回収し、ATMで現地通貨ケニアシリングを引き出して、空港を出る。外は既に真っ暗で、ゲートの灯りと駐車場の外灯だけが薄く辺りを照らしている。
僕は迎えに来てくれているはずの人を探すため、ゲートの外で待ち構えるケニア人たちが持つボードの名前を見ていった。一往復。二往復。。三往復。。。
ない。自分の名前が見つからない。
僕の様子を見かねて、近くにいたタクシードライバーが英語で話しかけてきた。この時点で僕の不安と警戒心はマックスだ。僕がインドで学んだことがあるとすれば、それは駅や空港の出口付近にいるタクシードライバーは危険だということ。大抵だましてくる。ぼったくりなら良い方で、強盗や強姦、誘拐もあり得る。基本的に無視すべき人たちだ。
しかし、SimカードもWi-Fiも持っていない僕にはどうしようもない。仕方なく、彼に相談することにした。
「タクシー乗るか?」
「いや、タクシーはいい。ある人が僕を迎えにくるはずだけど、いないんだ。」
「電話番号知らないのか?」
「知っているけど、僕の携帯電話は今使えないんだ。」
「電話番号見せてくれ」
そう言うと彼は、僕が見せた番号に電話をかけた。
「そこの銀行にいるみたいだぞ?」と彼が言う。
「本当?」
後ろを向くと、ちょうど空港のゲート脇にあったバークレイズ銀行から、なかなかの大男が携帯電話を耳に当てながら外に出てきた。190㎝ぐらいはありそうだ。
大男はこちらを見ると、手に持っていたボードを掲げた。「TATSUYA HANDA」。間違いなく僕の名前だ。
「彼か?」タクシードライバーが言う。
「そうみたいだ。ありがとう!」と僕が言うと、彼は手を差し出してきた。
お金か?と思ったが違う。握手だ。ケニアでこれから何十回、もしかしたら百回以上握手することになるが、僕のケニアでのファーストシェイクハンズはこのタクシードライバーだった。警戒心マックスで接して本当に申し訳ない。
大男がこちらにきたので、自己紹介をする。彼の名前はオネカ。僕が参加するボランティア団体のトップだ。50歳ぐらいで、スーツをしっかり着ていて、何より優しい目をしている。第一印象で頼れる人だと感じた。
「車はあっちだ」とオネカが歩き出す。僕はちょっとだけ学んだスワヒリ語を思い出し、タクシードライバーに「アサンテ!(ありがとう)」と言ってみた。
「カリブ!(どういたしまして)」と笑いながら彼が応えてくれ、オネカも「Good!」と言ってくれた。不安でいっぱいだった心がちょっとだけ安らぐ。
ちなみに旅をしていて感じたことの一つに、「こんにちは」「おいしい」「ありがとう」だけは現地語で言うべきだというのがある。数日間の旅で現地語を色々覚える必要はないが、この3つを現地語で言うだけで、かなり喜んでもらえるし、サービスが良くなったりする。
駐車場に行き、オネカの車に乗り込む。ワインレッドのトヨタ・ノア。窓やサイドミラーには盗難防止のため全てに車のナンバーが書き込まれている。
オネカも運転席に乗り込み、エンジンをかける。そしてノアが言う。
「ETCが挿入されていません。」
えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ
ゲシュタルト崩壊しそうなほど「え」を書いたが、本当にこれぐらいの衝撃だった。日本から遠く離れたケニアの地で、まさか初日に車で日本語を聞くなんて思っていなかったから。
ケニアの車はほとんどが日本から輸入したトヨタ(たまに日産)の中古車のため、省エネ減税のシールは貼ってあるし、車内の案内諸々は日本語で書かれている。備え付けのカーナビももちろん日本語である上に、日本の地図しか見られないからほとんど役に立たない。大抵音楽プレーヤーと化している。
僕の表情を見てか、オネカが「イエス。ジャパニーズ。」と笑って言いながらアクセルを踏む。そして車は駐車場を出てナイロビ市内へと向かう。
インドからケニアへ向かうとき、僕は更に荒れ果てた場所に行くことを想像していた。村に行ってからはそれも強ち間違いではなかったのだが、この時点では全く逆の感覚だった。
空港から市内への道はアスファルトで綺麗に舗装され、オレンジ色の街灯が等間隔に道を照らす。数台の車がちゃんと交通ルールを守って走っている。そして何より、静かだ。
道が静かであることがどれほど素晴らしいことなのかということに、この時僕は初めて気づいた。インドは国民総あおり運転社会だから、常に渋滞しているし、常にみんながクラクションを鳴らしていてとにかくうるさくて仕方がなかったのだ。
「アフリカのイメージとはかなり違うね」と僕が言うと、オネカは「みんなそう言うね。」と答えた。
「アフリカ」と聞けば、想像するのはサハラ砂漠や、全く舗装もされていない道を裸足の子供達がバケツを持って歩いているようなイメージだと思う。そして「ケニア」と聞けば、想像するのはマサイ族のようなイメージではないだろうか。
ナイロビは都会だと予め聞いていても、実際目にするとやはりその発展ぶりに驚いてしまう。空港から市内までの道は、新千歳空港から札幌に向かう道とよく似ていて、懐かしい気持ちになった。もちろん、その道沿いにサファリがあるというのは「ケニア」らしいのだが。
車は30分ほど走って、YMCAの宿舎に着いた。ボランティアをする村には3日目に向かうことになっていたため、1日目と2日目はここが宿になる。
受付を済ませて、オネカから明日の予定を聞いてお別れ。お腹がすいていたので食堂で夕食をとる。米もでてきて、普通においしかった。
Wi-Fiがロビーでしか使えなかったため、ロビーの椅子に腰掛けて、家族や友人に無事を報告。YouTubeとかちょっと見ようかと思ったけれど、疲れていたことと、意外と寒かったこともあり、部屋へ行った。
部屋はツインルームの一人使用。水が少し出にくかったけれど、それはもう旅の中で十分慣れた。
なかなかお湯にならないシャワーを浴びて、ベッドに潜りこむ。移動で疲れた体を休ませ、よし、寝ようと思った矢先に…
鼻血だ。
僕は旅の中で、この鼻血というやつにかなり悩まされた。中学時代に鼻を骨折した僕はかなり鼻血が出やすい体質になってしまい、それが気圧を急激に変化させる飛行機と相性最悪なのだ。
「マジかよ…」と思いながら、近くにあったトイレットペーパーをちぎって丸めて鼻に詰めて、取り出してを繰り返す。
蚊帳の中で、鼻血の処理に勤しむケニア最初の夜。22年の人生の中でもトップクラスにわけのわからない夜だった。